Pale Blue Dot 〜太陽系の端からボイジャーが写した『地球』
ゆうべ、未明に目が醒めて、
窓の外の明かりに吸い込まれるようにテラスへ。
きらりんと輝くビーナスと月が、お出迎えしてくれました。
ふと、
『ボイジャーが写した地球(Pale Blue Dot, 1994)の写真』に寄せた
カール・セーガンの言葉を思い出しました。
闇の中に孤独に光るひとつの点。
これは、太陽系の端からボイジャーが写した『地球』です。
http://photojournal.jpl.nasa.gov/jpegMod/PIA00452_modest.jpg
[NASA提供:ボイジャーが写した地球]
「この“点”について考えてみて欲しい。
これがふるさとで、私たちがいる。
愛する人も、知人も、友達も、いままでに存在したすべての人が、みなここで人生を送っている。
喜びも悲しみも、自信たっぷりの幾多の宗教も政治思想も、
経済主義も、すべての狩人も、牧人も、英雄も、卑怯者も、文明の創設者も、破壊者も、
すべての王様も、農民も、愛し合う夫婦も、すべての父と母、希望にみちた子供、発明家、そして探検家、
道徳を教える先生も、腐敗した政治家も、
スーパースターも、偉大な指導者も、
すべての聖者も、罪人も、人類の歴史上すべての人が、ここに住んでいる。
(中略)
地球は、壮大な宇宙のアリーナの中の、小さな舞台だ。
このわずかな“点”の瞬きの支配者となった、全ての将軍や皇帝の勝利と栄光の影で、
流れ出たおびただしい血の量を考えてみて欲しい。
この1ピクセルの“角”に存在する住民が、
まるで見分けのつかぬ別の角に存在する住民に対する、
その終わりなき残虐行為を考えてみて欲しい。
なぜゆえに人類は頻繁に誤解し合い、殺戮を熱望し、強烈に憎悪し合うのか。
私たちのおごりが、私たちのうぬぼれが、
宇宙で特権のある地位にいるというその錯覚が、この色褪せた光に試されている。
この惑星は、大きく暗い宇宙 空間の中にひっそりと存在する、
孤独な“しみ”でしかない。
こうも広大な宇宙の中でぼんやりとしていては、
人類が人類を救うきっかけは外からは来ない。
(中略)
私にはこの点が、より親切に互いを思いやり、色褪せた碧い点を守り大事にすべきだと、
そう強調しているように思えてならない」
——カール・エドワード・セーガン
(Carl Edward Sagan, 1934年11月9日 – 1996年12月20日)
アメリカの天文学者・作家・SF作家。
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